平成 二十年 文月

蒸発都市

兼ねてより頼んでおいたものを 石井 さん から受け取り、もうひとつ用事、吉祥寺で 亀倉 雄策 氏 の展示を見た。その後ドトールで隣の女性がコーヒーを派手にこぼし、私の洋服が濡れた。石井 さん の意向で汐留まで、井の頭線、銀座線。清家 清 氏 の展示、¥500。松下電工のピカピカのビル、ださい製品。銀座まで歩く。資生堂のギャラリーに飛び込み、予備知識のない展示を拝見、ロハ。資生堂にお金を落としたことは殆どないのに、資生堂の文化活動の恩恵を享受できる、ロハ。ビックカメラで腹がよじれるほど笑った。売り場にはそんなものばかりが並んでいる。信じられぬが本当だよ。


Aug. 20. Sat. 2005.

:

:

帰りの電車の、最後尾の車両に乗った。運転席の向こうがよく見えた。“車掌見習”という腕章を付けた眼鏡の青年が、先輩に見守られながらきびきびと指差し確認などをしていた。思えば、先頭の車両から運転席越しに進行方向を眺めたことは何度もあったけれど、後ろ向きに流れて行く景色を見るのは初めてだった。


何もかも、遠ざかって行く。視界に入っては小さくなっていく高架沿いのビルの灯り。すれ違う列車はいつもの倍のスピードで走って行き、線路の彼方で光の点になってしまう。中でも頭に焼き付いたのは、夜の暗闇の中に浮かぶ船のようなプラットホームが、ひとびとを点々と載せたままずっと遠くまで行ってしまう、その何秒間だった。どうして遠ざかって行くものは、こころを揺さぶるのだろう。


それはたぶん考えても解らないことだし、解りたいとは思わなかった。地元の駅で降り、階段に向かってホームを歩きながら、渋谷行きのその列車が遠ざかって行くのを見た。


Nov. 17. Wed. 2004.

:

:

昔、精神面の大部分を割いて文章と向き合って暮らしていた頃があった。当時、夜な夜な電話線を徘徊しては、どこかですれ違ったかも知れないが決してそれを関知することのできない誰かの日常を読んだ。そして私も書いた。
 立続けに起こったのは偶然か、それともテキストサイトという表現の、衰退期の始まりだったかも知れない。ある時期、私の好きだったサイトがいくつも更新を停止し、或いは 404 という数字を残して消えた。Not Found それっきりだ。私もそのうち、いくつかの複合的な要因から、やめた。


何を書こうとしたか、忘れてしまった。
 近頃そういう頃が懐かしく、いやらしく探りを入れてみると、昔よく見たサイトがまだ続いていたり、名前を思い出せなかったり、Not Found の人が別所で新たに書きはじめているのを見つけたりする。懐かしいとは、とげの痛みだ。


Jul. 4. Fri.

:

アルジェの白い夏

この時期なら北半球は冬に入り始める頃だろう。ここだって例外ではない。地中海に面した北アフリカの町、アルジェもそろそろ肌寒くなってきた。日本に住んでいた頃には想像もできなかったであろう、“アフリカの冬”がやってくるのである。


さて、冬と言っても赤道至近、地中海の町、日本でこれを読んでいるひとが居たら、さぞ暖かな冬だろうと思われるだろう。私もつい最近までそう思っていた。ところが、日本の冬とあまり変わらないような印象である。空気が乾燥しているだけ夜中や朝方は寒いような気がする。昼間はまだ暖かいので、着るものを選ぶのは毎朝の難しい仕事になる。
 今日は仕事が早く終わったので、帰り際久しぶりにセレストの店に寄った。セレストはおそらく、会社の人間以外で初めて友人となったアルジェの住人だろう。日本から来たフランス語も拙い私に最初から親切にしてくれた。最初はコーヒーを飲みたくても注文することができなかったのだ。“かふぃー?”とか“かっふぇー?”とか言っていた私に、コーヒーを頼むときの仏語を教えてくれた。以来私はセレストの店でたびたび食事をするようになった。いつも何やら頼んでもいないものが付いてきて余計に代金を払わされているような気もするが、私の言い方が悪いのか、セレストの意地悪か、私にとってはどちらでも構わないことだった。
 アパルトに辿り着く頃、今日も美しい夕日を見ることができた。


Nov. 9. Wed. 2005.

:

魚の小骨

とうとう九月である。学生だった頃のスケッチやらリサーチ痕やら、かなり迷いつつ、殆ど処分することにした。
 ずっと押入の箱の中に眠っていたそれらは、片付けの度に目に触れ、度々懐かしさを呼び起こしたが、しかし最早それだけの存在なのである。後世に残したいような素敵なスケッチがあるわけでもなし、後々に再読して参考になるような類いでもなかろう。成果物だけ見た場合、それに直接関連する大切な事項は絞られる。それに辿り着くまでのいろいろな“学生なりの”紆余曲折が多すぎるのである。そういうものは“資料としては”役に立たないと判断した。
 身体には染み付いているので、きっと同じような境遇に置かれた場合、必要なことだったら思い出せるだろう。必要なければ忘れてしまえばよろしい。


しかし実際、部屋全体から見れば大した量ではなかった。逆に、だからこそなかなか棄てなかったわけだが、いやいや、そういうところからこつこつ物を減らしていかなければ。書類だけで見ても、生きている限り増えていくのだから。私はそんなに広い部屋には住めない。
 ゴミ、書類、洋服、靴、要不要の基準をきびしくしたので、結局まとめるとなかなか大した量を処分できそうである。空間の確保はもちろん、何より捨てると気分がすっきりする。デストロォォイ


土砂降りの雨音を聴きながら、蚊に刺されて寝た。


Sep. 4. Sun. 2005.

:

:

某所で話題に挙げたものだから思い出し、「芋粥」をさらっと読み直してみたところ、こんなことを書いてあった。


——人間は、時として、充されるか、充されないか、わからない欲望の為に、一生を捧げてしまう。その愚を哂う者は、畢竟、人生に対する路傍の人に過ぎない。

芥川 龍之介 「芋粥」より


なんだかよくわからないが勇気づけられる言葉である。


Jul. 9. Wed.

:

:

夜中、通り雨がきた。
 そうすると、それまで散発的に、大人しく(それでも大した声量であった)ゲコゲコやっていたカワズたちが、雨脚の、駆け足に合わせて、それは、一気に強くなる雨音に負けじとばかり、瞬く間に幾つもの声が重なっていき、大きくなっていく様は、寄せる潮のようだった。
 とか、書いて、潮の音なんかもう随分聴いていないと思った。


通り雨はすぐいなくなった。カワズたちはどうした? 夜が明けたらいなくなった。


Jul. 13. Sun.

:

:

我慢をするということは社会生物にとってかなり重要なことと思うが、つまらない我慢は人間性を縮退させるように思う。今年の年初頃だったと思うが、歯ブラシを買うかやめるかで悩んでいた。それくらいお金が無かったし、収入の見込みも無かったのだが、二十六歳が歯ブラシごときで逡巡しているのは本当にくだらないことだとある日ひらめき、新しい歯ブラシを買って歯を美しく磨きあげた。
 その後、単なるラッキーではあったが、歯ブラシを好きなだけ買えるくらいの仕事にありつくことができた。歯ブラシっていいよね。使い古しは掃除にも使えるし。


我慢しなかった今日の散財。
書籍
「野火」 大岡 昇平
「老人と海」 E. ヘミングウェイ
「肉体の悪魔」 R. ラディゲ
「若きウェルテルの悩み」 J.W.v. ゲーテ
  四冊 ¥ 420
写真屋
  フィルム現像 ¥ 470
ATOMIC CAFE
  原子力アイスコーヒー ¥ 400


新潮の古いヘミングウェイ本のジャケットが 田中 一光 の仕事と知る。何冊かあったが、いちばん古くて活版印刷のものを選んだ。新品本を売っている店も覗いたが、新潮が夏に向けて出しているどれもこれも文字がでかすぎて買う気になれなかった。蟹工船を読みたいんだけど、古本は見つからず。フィルムは二週間ほど前に撮影した T - MAX 100。なんでこんなもの撮ったんだろうと思うがっかりネガ。きっと初夏の暑さに頭がイカれていたんだ。イカ漁も休むよね。ゲッソリ。原子力喫茶は土曜の昼間で人多め。ノートを開いて悩んだフリを一時間ほど。どうしてこんなことになってしまったんだ。


Jul. 19. Sat.

:

:

ケロリンの桶に石鹸とかタオルとか、小脇に抱えて外の階段を降りる。暗いアパートの前の道路を、推定男子学生ふたり連れが無灯火の自転車で向かってくる。
「他に誰がおったっけ?」 「谷口じゃ」 「おー、谷口か! あいつはすげぇよ」
 すれ違って彼らが去っていく。ふたりして谷口を大絶賛しながら。谷口なる人物はいかなる業績を挙げた上で、少なくとも彼らふたりをして谷口谷口雨谷口の大合唱をさせるに至ったのだろう。あー、気になる。どんなすごいやつなんだ、谷口は(倒置法)。
 アパート一階の風呂場は共同でありながら専用であるというパラドクスを包含した風呂場である。パラドクスのシャワーを浴びながら、裸の私は常に無敵であった。水栓をひねるとお湯が出る。水栓をひねるとお湯が止まる。もうひとひねり! 流れ出たお湯が、蛇口に吸い込まれていった。
ぴゅるーん


Jul. 22. Tue.

:

:

昼下がり、道には人っ子ひとり居ない。いや居た。おれだ。ジャコメッティの彫刻みたいなやつだ。違った。おれは○○○○だった。
 夏の残虐な光線に夏休みの小学生も焼き尽くされた。浮き輪はプールに沈んだ。沈した。チン!
 ○○○○の右手首にバンダナ。右手に ¥ 100 で買った缶のコカコーラ。部屋に戻ると野球の試合は終わっていた。ラジオが監督のインタビューを流した。男子校が負けて、商業校が勝ったようだった。猫も杓子も商売商売の世の中で嫌になる。男ばかりも困るが。


 ○○○○は、高校は普通科卒、理系の物理選択。若い頃は、天才だと思っていたが、そうでもなかった。なぜなら○○○○だったからだ。


Jul. 24. Thu.

:

:

一日一回は 頭脳警察 を聴かないと気が変になるくらい気が変になっている。これは暑さのせいか夏のせいかは、冬にならねばわからない。
 それでも私はマシな方で。つまり、自分のことを気が狂っていると思いもしない人間、言い換えれば、自分は“まとも”だと信じて疑わず暮らしている人間こそが、最も頭のおかしい類型である。


夏なので部屋のドアは開けっ放し。外は向いのアパートと廊下同士で面しているので、お向かいさんの出入りが判ってしまうし、私の生活は夏場は丸見えである。
「また同じの聴いてるよ、あの人。一日中居るみたいだけど何やってるんだろう? きちがいかな」なんて警戒されていたら泣きそうだけど、
「また 頭脳警察 聴いてるよ、あの人。一日中居るみたいだけど世界革命は良いアジトからだよね!」とか思っているのだったら、ボクとあくしゅ!


お向かいさんは(たぶん)春に新しく入居してきた、(たぶん)岡山大学の一年生。それでもって春のいつ頃からか、(たぶん)女の子をよく連れてくるようになって、しかもほとんど毎日かというような頻度で(たぶん)女の子を連れ立って帰ってくるものだから、春からの独居の開放的な気分が本分たる学業の妨げになってはいまいか、実家の御両親が知ったらどうしたことかなどと、(たぶん)ハラハラ心配したものだった。
 最近いつ頃からか、女の子はぱったり訪れなくなった。夏だ。


Jul. 26. Sat.

:

:

暑いのはいつものことで、昨日よりプラスマイナス一度がどうのこうのなんてどうでもいいのだ。暑いカテゴリなのだ。それでもってアパートに居る以上はドアと窓を開けて扇風機を廻すしか手がないのだ。
 この逃げ場のない感じ、好きだ。


部屋で悶々として人生を考えてしまった。ちょっと外に出た。北も南も見事な積乱雲が見えた。
 部屋に戻って、着替えて、一眼レフにカラーフィルムを込めた。空とか景色とか町並みとか、つまらないものを撮った。大変な靴擦れになった。


Jul. 27. Sun.

:

:

今日から久しぶりに仕事をさせてもらえる。三年間も定職に就けずに生きていると百連休が苦痛になってくる。お金を貰って仕事をするのがいい。ヘルシーだ。
 バスで往復 ¥ 440 の交通費申請をしておいて、徒歩で通う。みみっちくて吐き気がする。でも、¥ 440 もあれば何ヶ月分の歯ブラシが買えるか真面目に考えたことがあるか? 私はない。


汗をかきすぎた。一昨日、午後の三時から六時くらいまでカメラを持って出かけたら、質量が 1.5 kg も減ったことを思い出した。
 帰りの夜風は全然気持ちよくないぬるい街の風。まっすぐ前を見ているがどこにもフォーカスがない。ぶつぶつ呟く……「いちまいがにまい、にまいがにまい……」
 焼けた黒い顔に目の周りを白くした女が「オネガイシマァス」と何か白いものを配っていたが、黙殺した。地下道へと、階段を、降りて、いく。海抜高度が下がる。疲れているのかと思った。ターミナル駅の長い地下道を抜けるとブラジルであった。
 というわけで、私は今、ビール片手にブラジルから更新している。こんなことを書いても、誰も信じてはくれまい。私も全く信じていない。これは嘘に違いない。


Jul. 29. Tue.

:

:

今日も仕事に行った。とか、平日なのに間抜けな言割りを入れなければならないほど、仕事は不定期かつ変則的だ。朝から眠く、仕事も暇で、モニターのドットを数えて過ごした…… メガ、ピクセル。


昨日も見た女が今日も同じ場所に居た。思っていたほど色黒ではなかった。メイクもそれなりにふつうだった。私とはこれっぽちも接点がありそうになかった。白いワンピースを着ていた。昨日もそんな格好だった。今日も何かを配っていた。
 私はふいに、恐ろしくなった。昨日、何も受け取らずに無視したことを、深く根に持って、それと判る格好で、同じ場所に立ち、同じことをしているのではないか? 或いは、昨日からずっとそこに。
 下を向いて、回れ右、そっと逃げた。徐々に歩む速度を上げ、帰路を逆進してはいたが、逃げた。しばらくあの道はよそう。息の上がった顔を上げると、周りの通行人は、全て白いワンピースの女だった。
 分裂したな!
 数は暴力だ。私も人数を増やすことで対応しなければならなかった。それなりの人数を揃えたところで、駅の大きなスピーカーから音楽が流れ始めた。私たちは輪になって、フォークダンスを踊った。


高校二年生の体育会、私はリレー競争のアンカーとして 400m を走るよう委員に懇願され、嫌々ながら引き受けてしまった手前、真面目でそこそこ脚の速い私は本気で走り、一人か二人くらい追い抜いてフィニッシュ。クラスメイトからヒーロー扱いされたかどうかは忘れたが(一等だったわけじゃないのでたぶんされていない)、ふらふらと役員テントの下まで歩き、そこでダウンした。400m も走って、心が折れてしまった。最終プログラムのフォークダンスが始まっても、私はテントの下で転がっていた。冷たいタオルで眼を伏せて、呼吸を整えている間に、眠ってしまった。
 眼が醒めたときには、周りにはもう誰も居らず、初秋の星空が広がっていた。誰も居ない夜のグラウンド、フォークダンスのために引かれたサークルの白線は、男女のめくるめくステップに散り散りになっていた。
 長い夢を観ていた。東京の大学に行ったり、アパートの学生仲間と語り合ったり、仕事があったりなかったり、暇で、モニターのドットの数を数えたりして過ごしていた、自分の姿……。


Jul. 30. Wed.

:

imitated records or false memories

漁業通信

此のサイトに有益な情報はありません。

since Aug. 8. 2002 / Copyright Chisso / All right reserved.
inserted by FC2 system