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洗うは髪。運指に従って抜けるも髪。二十六の秋。
ここ数年、秋毎にこうなるを見せつけられると、抜けるは季節のもののようであるから半分ほどは気にしないで済むが、もう半分はやはり気になっている。私は漠然と無根拠に、“自分は大丈夫”と信じているが、信じることが一体どれほどのものであろうか。
ニーチェ は言ったじゃないか。神は死んだ
(エクセレント)
向いのアパートの(推定)学生さんのところに、近頃また、頻繁に(推定)女の子が訪れるようになり、私はギギギと呻きながら、絶えることなく今も命を燃やしている。
誰だっていつかは死ぬのだ。
Sep. 2. Tue.
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葉月にはいろいろ書いておきたいことがあった。下旬のある時から急に暑さが退いて、その次に雨がきた。各地で猛威を振るったほどの豪雨ではなく、岡山ではただ、久しぶりの雨が降った。
その間の個人的にやや低調で短調な幾日かのうち、私は何度、長月を暮らしている錯覚を来しただろうか。つまりこんなことも書いておきたかったことの一だった。
葉月。眠れない夜の頭と付き合いながら、仕事があったり、なかったり。あの ムルソー は、眩しく暑い日差しを受けて人を殺めた。だが、真夏の暑さと冷房の冷たさは、果たしてどちらが狂気であったろうか。与えられた一時間の休憩をいつも持て余し、商店街のベンチで、カロリーメイトとボトルに汲んだ水を脇に、文庫を読み、或いは植木に寄りかかって思考を止した。生きた維管束を無数に走らせた木の幹は、心地良く冷たかった。私に構わず、脇を蟻が伝っていた。休みの日は、汗水にまみれた浅い眠りに拘束された。
仕事がなくなったら海に行こうと思っていた。盆も過ぎて、廃墟のように畳まれた海の家を見たいと思った。そう思っていたら、葉月は過ぎた。
長月。錯覚の長月を暮らしていた頃に考えていたより、残暑が留まっている。でも、もう長月だ。
Sep. 3. Wed.
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いつも通りの順序で雑巾と掃除機をかけ、埃を片付けた気になってからコーヒーのために琺瑯ポットを火にかけた。ストレートのマンデリン。どこから来た豆か。インドネシアのスマトラだそうだ。Wikipedia より知識をかじる。
湯が沸くまでの間に、豆を挽いた。ドリップ。反発力がない。豆がどうもあまり良くなかった。古かったか、瓶に移すときに湿気が混じったか。買ってから三度目のドリップだが、いづれも上手くいかなかった。そのうち良いマンデリンに当たることもあるだろう、ほどほどで抽出終わり、それでも淹れたての暖かいコーヒーはそれなりにいつも良い香りである。
ディスクは回る。自分のことを書いた書類に目を通し、赤のペンで修正を加える。虚構を書いている積もりはないが、それは事実の一部であり、昼の半球だけだ。削る。美しく魅せるための装飾がまだ残っている。装飾は要らない。どうせ誤解なら、簡潔に解りやすく誤解していただきたい。
ディスクは停止し、そのうちまた回される。今日、何度目か、最後のトラック、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の前奏曲。これを聴くと、元気が出てくるし、または自信がなくなってくる。この曲の似合うような瞬間が後々、私に幾度かあったら良いと思う。
とりあえず今は全く似合わない。水を飲みに椅子を立つと、旋律に合わせて狂ったように腕を振る。私が指揮するマイスタージンガーだ。最高だった。
Sep. 5. Fri.
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蚊が飛んで来たようだ。小さいやつだ。いつから居たのか知らないが、風呂から帰ってきたっきりドアも窓も開け閉めしていないから、その前から潜んでいたか、少し吸ったか。
だらしなく垂らした私の手の腹に停まった。その手に少し力を込めて、反対の手で、たッと叩いたら、つぶれて真二つになった。自分ではどうにも抗うことのできない猛烈な力で一瞬にしてひしがれてしまった。
真面目に考えていくと気でも狂うしかない事象は、いくらでもある。リアリティの喪失が、正気を保つ術だ。
(リアリティは皆、思春期に置き忘れてくる。だから、ティーンエイジャーはいつも純粋に気が違っている。)
Sep. 9. Tue.
ロージナで朝食を
土曜の晩に終電をなくしたので、一緒にいた国立に住む友人の部屋に泊めてもらった。疲れていたのか環境の違いか、いつもよりよく眠れた。朝の十時頃に起き、そこから近所の古めかしい喫茶店にふたりでモーニングを採った。コーヒーが良い香りだと思った。
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高尾行きの中央線は、すぐに席に座ることができた。普段は使わない路線なので、本を読まずにいた。窓の外の団地。ひらひらと喋る娘たち。日曜日なのに背広姿の男性。
吊ってあるものも壁に貼ってあるものも、一両全て揃えた広告だった。“I LIKE TOKYO STATION”
僕も、そうだなと思った。
Oct. 24. Sun. 2004
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湖のさざ波を眺めながら吸い込む煙は実に素晴らしいものでした。車を運転してくれた彼から、今日も貰い煙草です。
永い年月を想わせるフラクタルの木々な山々を逆さま絵に映す水面が視線の角度によってめくるめく変化する光の反射の紋様の全く偶然。
相模湖公園がついに遺跡になったときにもきっとこのままだといいね。
平成 15 年 7 月 2 日 ちょっと煙草吸い過ぎ
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煙草をくれた彼は、H と言った。車を運転したのも H だった。あの日、湖のほとりでぼんやり煙草の煙を吐いていた二人は、私と H だった。私は二十一歳だった。彼もたぶん同い年だった。
湖に行こうと言ったのは H だった。私はその日、学校に出ていたが、休学中で、頭の回転が悪く、殆ど死にかけていた。H は明るい男だった。それはメッキのような明るさなのだと判ったのは、もっと先のことだった。H と私を含めた数人が、初夏の昼間に、食堂でボサっとだらけていた。私の他は、制作課題を抱えていた。美術大学だった。H は突然、湖にでも行くかと、私に声をかけた。
湖に向かう車中で何を話したか憶えていない。湖では煙草を吸いながら結構楽しく話した。湖の見せる様々な表情、瞬間の奇跡。向こう岸の山は木々に覆われ、中腹に小さく鳥居が見えた。そんな様子から、長い年月をかけて出来上がった眼前の景色への畏敬だとか、煙草のすばらしさだとか、そんなことを話したような気がする。
同期で入学し、同い年だった H とは、おそらくこの小旅行の数時間だけが接点だった。その後、彼は留年し、休学明けの私と一緒に五年生もやっていたが、夏に退学した。半期が終わった後の打ち上げの誘いに、彼は曖昧に応じ、結局来なかった。H とはそれっきりだ。
昔の文章を読んでいて、思い出した。書いておいて良かった。
Sep. 27. Sat. 2008