平成 二十年 霜月

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本を一冊読み終えると、場合によってはつまみ読みで簡単におさらいをしたり、しなくても一日くらいは手許になんとなく置いてあり、その後、平積みの文庫ばかりが並ぶ書棚(ただの長い OSB 板)に戻す。既読の本は天を右向きに、未読のものは左向きに積んである。数日前、「斜陽」を右向きに積み戻した。
 左向きの本はまだまだ多い。
 本を読む人なら解るだろうか、次に何を読むか選んでいるときが、かなり幸福な一時であるということを。私のように遅読で、まだまだ未知の名作がたくさん残っているなら尚更だ。
 数日前、「砂の女」を棚から抜き取った。古本屋の値段ラベルを丁寧に剥がす。読み始めるための、儀式みたいなものだ。


Nov. 7. Fri.

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度々あることだが、昨日の晩は人生について考えてしまった。先の見通しが立たないので昔のことばかり考えていた。昔の良い思い出のことではない。昔の良くない思い出のことだ。ともだちからのけ者にされて泣いたとかおしっこを漏らしたとか、そんなことだ。
 そうして私は、永久機関を廻す。
 眠れない、と思っていたら、正午に起きた。私は枕に顔をうつ伏せて呟いた。メメント、森……


昨日は冷たい雨天で、まだ早いと思ったが、ストーブを出した。点火して、ちりちりと、昨冬の燃え残りみたいなのが甘い香りを立てるのをしばらく眺めた。


今日も目標の行程に届かない。いつものことだが、後ろ倒しに修正される日程は積もり積もって、もしかしたら私が現在取りかかっている行程は、十年も前に予定されていたものだったかも知れない。阿呆か。


22 時のニュースからずっと、ラジオが鳴っている。
 今夜の深夜便アンカーは、名前は知らない、でも声はわかる人。日付けが変わって、ソウルのなんとかさんのリポート、ニュース、いろいろ、海外各都市の天気予報。天気予報の途中で BGM がブッツリ途切れ、放送設備の点検だとかの案内、その後に君が代が流れた。深い、深い青を背景に旗めく日の丸が思い浮かんだ。あれは、いつの時代の、どこの映像なのだろう。JOKK……
 異国の放送がノイズの隙間から聴こえる。スイッチを切った。それでもなお、どこからか微弱な振動を伝える空気の底で、寒いなと思った。


Nov. 10. Mon.

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それぞれ全てがお互いに“ついで”と思えるような用事を駅周りで済ませ、何かの諦めに似た気分を伴って帰路に就いた。まだ日の高い午過ぎだった。


色付いた葉を眺めて歩いていた脇の県営野球場から、金属バットの響きが聴こえた。
 曖昧な興味から球場に入った。スタンド両側にささやかな応援団があり、それは K 高と G 高の試合のようだった。K は田舎の学校だ。応援も、ベンチの選手も少なかった。G は私学で、ベンチからは溢れんばかりの人数が声を張り上げていた。G の出場選手は皆、二桁背番号で、つまり普段は控えなのだ。
 それでも押され気味だった K は、ある回の攻撃、背番号 5 がライトぎりぎりにホームランを打ち、一矢を報いた。嬉しいのか、全力疾走の訓示でもあるのか、チョロQ のように走ってホームに戻ってきた。周りの K 高関係者と思わしき人たちも拍手で称えた。その少し後、「踏んでない?」という主審と G 側のやりとりがあり、1 点は取り消され、1 アウトが増えた。5 番の少年は、三塁を踏み損ねたそうだ。そういうものだ。


何故か暖かいコーヒーがいづれかの関係者方から振舞われ、私は「あ、インスタント」と無礼なことを思いながらも、肌寒い屋外ですするコーヒーをなんとも心地よく感じた。
 私は今日、今秋初めてマフラーを巻いて出掛けた。


Nov. 11. Tue.

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ボロボロのタオルが何枚もある。一日一本、顔を拭く手を拭く、残り半分で硝子器の水気を拭く。特別なお客さんがあれば、二、三本、いや四本。五本でもいい。キミにあげる。私が十八の学生時代からタオルはそのように使われてきた。
 この街はダサい。白い、薄い、三本くらいがセットになったような、あのしょっぱいタオルが、この街にはない。挨拶回りに社名のプリントされたタオルを配るようなしょっぱい企業もない。A3ノビ対応と囲い付でアピールしたプリンターを売る横には、A3ノビ用紙を売っていない、そんなダサい街なんだ。
 そんな街ではタオルは補充されない。私は擦り減って病院のガーゼのようになったタオルを使う。裏も表も、わからない。


妥協。
 柄のタオルを四枚買った。ボロのタオルを五枚引退させて雑巾にした。うち二枚は雑巾にならなかった。それは、布で縁取られた穴そのものだった。穴空き in the 有形。
 私はこの街が大嫌いなので、将来お金持ちになったら土地を丸ごと買い占めて更地にしようと思う。みんな、空の青さに気付くはずだ。


Nov. 20. Thu.

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ぼくらはひとり

一週間ほど前にスリランカへ渡った P子 さん からエアメールが届いた。現地の生活の様子が事細かに。  現地到着一日目に発送の手紙なので、生活と言っても、まだこれからいろいろあろうかと思う。


みずほ銀行の普通預金口座を開設。預金額はとりあえず¥1,000。これで遠くないうちに東京三菱銀行の口座を畳むことができる。
 それにしても、書類の職業欄に書くことがないので恥ずかしい。


要るものと要らないものを選別している。一人暮らしを始めてから何回目になるか、物品削減欲がムクムク。とにかく捨てる。お金に替わるものは替える。
 そしてこれはその後のことだが、“買わない”、これが最も重要。
 どうせお金も無いので買えるものはない。捨てたり壊したり、とても気分がすっきりする。壊せ!捨てろ!潰せ!ボトル!


Aug. 29. Mon. 2005

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日の落ちるのが早くなったし、四時も過ぎると部屋は日陰に入るので、灯りが要る。


作品に添える文章をどんな風にしようか、参考にデザイン誌を一通りめくった後、その下から 香月 泰男 の画集をひっぱり出した。シベリアシリーズの脚注を読んでいると、何故か、涙が溜まってきた。学生の頃に実物を初めて観たときでも、そんなことはなかったのに。
 「絵具箱」という絵の隣の頁は、「日本海」という絵が載っている。それは、鮮やかな青だ。


たぶん私は、恥ずかしくて情けなくなったのだ。明日、二十七歳になります。


Nov. 28. Fri.

香月 泰男
ナホトカの船待収容所の側溝の中で幾夜か絵の具箱を枕に寝た。わずかしか残っていない絵の具でも、もうすぐ絵が描けると思うと露の降りるのも苦にはならなかった。
あざやかな群青の日本海を望むナホトカの丘に、帰国を目前にして倒れた日本人が埋葬されていた。靴をはいた両足だけが地上に出ていた。死者の無念さへの共感をこめて、顔と手を描き加えた。

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悶々とした堂々回りに土曜の朝を貪られ、十時過ぎくらいだろうか、やっと布団から出て、それでも座るかしゃがむか、しばらく途方に暮れていたが、その理由は判らない。洗濯をして、残り物を温めて食べ、洗濯物を干し(物干台に並んだのはタオルや下着の類ばかりで、靴下が少ないのは、靴を履かなかったからだ)、いつも通り部屋の掃除をしたが、やはり判らない理由で途方に暮れた。


現像上がりのフィルムを受け取りに行こうと、財布を入れるポケットを選んでいるうちに、同じ通りにある喫茶店が想い起こされた。しばらく考えて、やはり着替えて出ることにした。
 国道沿い、総合グラウンドの並木は紅葉の盛りで、折からの強風に散る落葉、歩道に敷き詰められた落葉、いづれも印象的な秋の赤だった。郵便ポストもコーラの販売機も赤かった。
 フィルムはまだ上がっておらず、ATOMIC CAFE でモノクロのネガを眺める愉しみを失ったが、コーヒーを注文して、ノートとペンと、たぶん読まない文庫本を机上に並べるだけで、私はだいぶ幸せな気分だった。


Nov. 29. Sat.

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