平成 二十一年 皐月

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取りかかっていた制作を仕上げたが、それは既に昨日のうちに失敗作となっており、なげやりな気分が端々の精度不足に見て取られた。資源の無駄だったかも知れない。道具をのろのろと片付けた。傾きかけの日が射す黄色い部屋はからっぽのように思われ、しばらく壁を見ながら立っていた、ような気がする。
 棚の上のカメラが目について、久しぶりに手に取ってみた。写真撮りてえなあ。フィルムがなかった。ハーフのカメラを横構図で構えて、筒抜けのファインダーから見たものも、壁だった。シャッターを切った。1/250 秒。


部屋が隣家の影に入った頃、マッキントッシュに向かってつまらない作業をしていた私が聴いていたのは、「GOOD TIME MUSIC」というタイトルをつけた、だいぶ以前に自分で編集した MD だった。最後のトラック、斉藤 哲夫 の歌「グッド・タイム・ミュージック」が、夕暮れの部屋を染めた。
 グッド・タイムが、あったなあ。あったよ、あったんだ。


May. 1. Fri.

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街はたくさんの人出だった。街に出るのは最後に仕事に行ったとき以来だから、ほぼ二週間ぶりになる。日中の街は、それ以上に久しぶりだった。
 日差しが強かった。私は朝からぼんやりとしていて、たくさんの人々がいずれも動く人の形のようだった。動く人の形にぶつからないように歩きながら、それを含めた視界の景色を頭の中で四角に切り取り、いい画、などと考えていた。また並行して、全く別のつらい思考で余白を埋めていた。そうすると、街の景色さえも色のついた紙のように平らだった。それでも私は、動く人の形を器用に避けて歩いた。
 どうしようもなくつらいのではない。どうしようもないことがつらいのだ。


要るものを買い終えた私は景色を切り取りながら歩き、夕日の逆光に沈む駅前の広場にさしかかった。広場は丸い噴水と携帯電話と、若人の集まりで構成されていた。装置を持つ者同士が、電波を用いて引き寄せ合うのだ。
 私をたぐり寄せる電波はなかった。西の空を眺めながら線路沿いを歩いていると、駅の待避線に停まっていた“糸崎行き”が視界を塞いだ。私は糸崎が何処なのか、西か東かも知らない。だが、いつか“糸崎行き”に乗って、終点の糸崎まで行きたいと思った。
 行きに比べて帰りは、向かいからやってくる動体が多かった。皆電波に引かれて、駅に向かったのだろう。


May. 2. Sat.

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アパートの前の側溝周りにたくさんの苔がむしている。私が他所から移植したものもあるが、多くは自生しているものだ。他にも石垣の隙間から様々の草花が伸びている。私は植物に疎いのでそれらが何であるか知らない。ただ、そのきたないドブ川に添えられた彩りに惹かれた。
 昨日と今日、側溝周りのごみを拾った。二日間かかったわけではない。昨日見つけ損なったものを今日拾っただけだ。拾ったところでドブ川であることに変わりはないが、コンビニの白い袋が浮いているよりは何倍もマシだろうと信じる。


夕。昨晩の操作ミスで失った音楽のデータを復旧させようと試みていたが、ふいにどうでもよくなり、残っていた曲もすべて消去した。


May. 4. Mon.

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午後、Q嬢から電話がかかってきた。硝子器の水気を拭いていた私は、布巾を片手にもしもしと出て、元気?と尋ねた。まあまあ、とかなんとか。おれは元気だよ。云々
 彼女が喋り始めたことによると、パソコンに入れたディスクを取り出せなくなったという。話を聞く限りでは機械的な不具合のようだと思ったので、コンピューターを止めておとなしく修理に出したらどうかと言った。何か歯切れの悪い彼女が重ねて喋り始めたことによると、取り出せなくなったディスクとは、お父さんが隠し持っていたえっちな DVD なのだという。
 思春期を修了した男子なればこそ、彼女の窮状は即ち理解できたが、同時にその中学生の犯すような失敗が可笑しくて笑った。ばかばかしくて、久しぶりに心底笑った。雨上がりのようだった。


夕方まで連絡をとりながらいろいろ試したが、結局ディスクは取り出せなかったらしい。中に残したまま修理に出すとのこと。最初はえへへと笑っていた彼女もイライラと徒労感からしょんぼりとしていた。
 まあいいじゃないか。そんなの恥ずかしくないよ。恥ずかしいってのはもっと、そう、人として恥ずかしいってやつだけだ。


夜、おやすみ、とメールが届いたので、“明日かいつか、なんとかなるさ” と返した。
 なんとかなるさ。


May. 5. Tue.

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東京に居た頃の友人からメールが届いた。旅行だろうか、出雲に居り、今から岡山に向かうという。
 私は布団から這い出し、伸び放題の髭を剃り、伸び放題の髪は諦めて、トイレに行ったり食事を採ったり、新聞をざっと斜め読みし、“朝”の行程を駆け足で済ませた。友人の類に会うこともここ数ヶ月なく、メールの主に至っては東京時代以来で、どう振る舞おうか少し悩んだ。
 ところが、岡山に着いてすぐに空港へ向かわなければならないとのことで、会談は流れとなった。彼女は「また必ず来るよ」とメールの末尾に書いて寄越した。私は複雑な気持ちだった。またいつか東京で暮らすことができたら。


いつも通りの自由な午後となった私は、豆を挽いてコーヒーを落とした。きれいに澄んだ褐色の液体を、窓の光に透かしてみた。エクセレント!


May. 6. Wed.

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初めて入った喫茶店は外から覗いた印象よりも混んでおり、他の店を探そうかと並びの列を外れかけたところで、店員さんに声をかけられた。「五穴以上のお客様はこちらとなります。」
 五穴というのは、ベルトホールの余りの数のことである。確かに私は痩せている方だ。出ようと思っていたが、せっかくなので案内されるまま特別室へと通されてみた。店頭見本よりひとまわり大きいクレープケーキが用意されていた。年齢の割に太り始めていないというのは幸せなことだなと、改めて思った。
 トッピングをどうするか尋ねられたが、なにぶん初めての店で勝手が判らないのでお任せした。店のおねえさんが迷いのない動作で最初にマヨネーズを手にしたのには参ったが、お任せしてしまったので諦めた。
 おねえさんは私に、自分のことを“おばあちゃん”と呼ぶよう強いた。恥ずかしかった。おばあちゃんありがとうと言ってマヨネーズやクリームの盛られたケーキを受け取った私は、ケーキを倒さないよう苦心しながら、甘い午後を堪能した。


南中の日差しが差し込む六畳間で、私は危うく泣き出しそうだった。


May. 8. Fri.

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日付はとうに変わっていたが眠りに誘われる気配もなく、コンピューターのキーを叩いていた。何故だろう、ふと思い出して、県の陸上競技協会のサイトを開いた。そこには、私の高校時代の競技の記録が残っている。
 走り高跳びの頁には、最終順位に従って名前が並び、試技の成否が◯と×とで示されている。ルールを知らない人が見れば何のことだか解らないかも知れないが、私はそれを見ると、あの自身の身長よりも高いバーに向かって立つときの戦慄が今でも僅かに呼び起こされる。助走を始める前の、自分独りが支配する競技場の端の僅かな空間と時間と。


同学年の五人ほど、同じようなベストレコードを持ち、県の大会ではいつもその面子で上位を競った。みんな今はどうなっているだろう。誰をとっても想像の手がかりもない。
 それはいい。昔の日の、一瞬の交差だ。だが仮に再び縁があったとして、私は彼らに説明し得る何者かになっているだろうか。
 まったく、まったく。今日は暑いくらいによく晴れていた。


May. 9. Sat.

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アパートの前の東西に伸びる道路は、端から端まで、傾きかけた日に染められた。家々の東壁面は、逆光に切り取られた。私は眩しくて、目を細めた。
 側溝の水を柄杓にすくっていると、後ろから声を掛けられた。顔を上げると、中年の男が自転車を停めて立っていた。見憶えがあった。聖書の教えを広めているというおっさんだ。以前に一度、アパートの部屋を尋ねて来て玄関先で話をした。宗教の事を除けば話のできる人だった。こんにちは、暑いですね……
 今は何をしていらしたのですかと訊ねられた。堂々と人に話すことでもないような気がして少し言い淀んだが、苔に、水を遣っていると答えた。「いやあ、そんな人を見たのは初めてですよ。そういうところに目が向くというのは、何かいいですね……」 日焼けした顔が邪気なく笑った。


おっさんが自転車で去っていったあと、コーラでも買おうと、水遣りを済ませて近所の販売機まで歩いた。夕暮れの空を背に、大学の官舎の給水塔が胸を張って林立していた。
 あー、久しぶりに、カラー写真でも、撮っちゃおうか、でも、部屋に戻って、フィルム込めてたら、だいぶ暗く、なっちゃいそうだな、また、明日で、いいか。
 それでも私はしばらく、アパートの階段から西の空を眺めていた。部屋に戻って、やはりフィルムを込めた。今日の空は、今日だけ。


May. 10. Sun.


そう、自分自身と、少しの友人たちさえ信じていれば、今の私には充分だった。

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日付や曜日が判らなくなってはいけないと常々思っているが、ぼんやりとした数日の後、また有耶無耶になってしまった。常々思っているということは、つまりそういうことだ。


毎朝、薄明りが町の輪郭をにわかに描写する頃、アパートの軒下に営巣したつがいのツバメは活動を始めている。窓の外のケーブルに舞い降りては、チクチクとやっている。
 毎日真面目で、あのように生きていたなら曜日が判らなくなることなどないだろう。過ぎた日々はからっぽなのに、重い。


土曜。雑巾を絞り、一日を始める。


May. 16. Sat. Good morning.

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穿き換えたパンツのポケットに財布をねじ込み、撮り終えてから一週間も経ったフィルムを手に部屋を出た。アスファルトの反射に目眩がした。瞳孔がすばやく閉じて、見慣れた町の景色は再び視界に描かれた。
 真直ぐに伸びる歩道をサンダル履きで歩いた。すれ違う人は皆、役割を持っているように感じた。写真屋で現像の注文をすると、私の用事は済んだ。


フィルムには、いつだったか早朝から靴を履いて出掛けた街の姿が転写されているはずだ。遠く燃える水素塊。動くもののない道路。鳥。
 あの日、歩いた末に辿り着いた六時台のターミナルでは、誰もが出口か、入口を目指していた。


私はアパートに帰るしかなかった。乾いた風が心地よかった。アー


May. 18. Mon.

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コーヒーを飲んだグラスを流しですすいでいた。正面の小窓からは廊下の欄干と向かいのアパートが見える。今日も乾いた心地のよい風が通っていた。
 なんだか懐かしい匂いがしていた。これは知っている、好きな匂い、けれど何だっけ。
 グラスを拭きながら視線は窓の向こう、実際はもっと遠くを見ながら、記憶を掘り起こしていた。……わかった、これは、昔通っていた学習塾のあった雑居ビルの匂い……


***


私は小学六年生の頃から数年間、そこに通った。今になって思えば正体の判らぬおっさんが、ビルの一室を借りて開いていた小さな数学塾だった。私と、ひとつ年下の少年と、生徒は二人だけだった。
 音楽の他はどの教科でも躓くことなどなかった私がなぜ、しかも最も得意としていた数学(算数)の塾に通うことになったのか、よく思い出せない。
 だが、そこが楽しかったのはよく憶えている。正当な理由を伴った夜間外出、ジャンクフードの夜食、「腹が減ったろう。食いながら聴け」などと言う先生、先生が休憩に淹れてくれる甘いインスタントコーヒー。一緒だった年下の男の子は中学高校部活動と半歩遅れでついてきて、その先の進路は分岐したが、今でもたまに喫茶づきあいをする腐れ縁となった。
 私にとってもうひとつ重要なことがあった。先生は、私に正しく数学教育を施した。論理的思考の訓練。“公式を憶えろ”などと、そんなナンセンスはなかった。
 おかげで数学の成績は、私が自身を天才だと錯覚するには充分なものだった。いつしかそれは錯覚だと判ってしまったが、当時の訓練が生きていたから、少なくとも自分の頭で考えて今までやってくることができた。


I 先生、お元気ですか。数学を習ったのに、美大に進んでしまいました。おれも K も大人になりましたが、立派かどうだか。K は音大に入り直して作曲を学んでいますよ。笑
 少なくともおれにとっては、あそこでやっていたことが今も役立っています。それで勘弁して下さい。


***


あれは、昔通っていた学習塾のあった雑居ビルの匂い。あの小窓からは廊下の欄干と向かいのアパートが見える。
 あの匂いがどこから漂ってきたのか、さっぱり判らなかった。


May. 19. Tue.


よく考えてもみれば、あの頃の甘いインスタントが、私の初めてのコーヒー体験だったのではないか。

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現像に出したフィルムを受け取りに写真屋へ行くと、今日はおばあちゃんが居た。いつもおばちゃんか、おばあちゃんが店番をしている。おばあちゃんに会うのは久しぶりだった。
 先客とだいぶ長話をしていたようで、私がフィルムの確認をしているとその話の続きのように語り出した。あの人は親の介護のために大阪と岡山を行ったり来たりしているそうだ、大変だ、と。先のお客さんのことだろうか。まだそのあたりの実感はないが、想像は不可能ではないので、うんうんと首肯した。
 高齢社会だとか人の最期だとか、半世紀近い年齢差であろう二人で、しばらくそんな話をした。「あんまり長生きしすぎるのも、考えもんだねえ」
 おばあちゃんが明るい笑顔で言うので、私はうんうんと首肯した。


おばあちゃんはどのお客さんとも長話をして一日を過ごしているのかも知れない。私が帰りしな、またお元気でと声を掛けると、おばあちゃんは改まったように深々と頭を下げた。「それはどうも、どうもありがとうございます」


財布の他は受け取ったフィルムの封筒しか持っていない。今日もサンダル履きで歩いていた。晴天で暑かった。途中、近所でたいやきをふたつ買った。¥ 220 だった。
 尻尾まであんこの詰まった、良いたいやき。でも本当は、厚ぼったく皮ばかりもこもこしている方が、私は好きだった。


May. 20. Wed.


店の判子を押した紙袋。そういうものにはとても、心が動く。

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“何か書いてないと死ぬ。”と、川井 俊夫 氏 は自らのブログの冒頭に記している。


私は、どうだろう。


Aug. 8. Mon. 2005 砂の町から


書いていなくても死にはしなかった。だが、こうやってまた書いている。私はまだ痕跡を残すことができる。思い出の幻覚に改変されていようとも、憶えているうちに。May. 23. Sat. 2009

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側溝にフタをするように蜘蛛が何匹も巣を張っている。そうしていれば、ドブ川で涌く蚊の類は入れ食いだろう。
 上手いことやってるな。私は苔も草も蜘蛛も好きだ。苔に水を遣っていると、蜘蛛は流れ落ちる水に驚いて巣を投げ出して逃げてしまう。気を付けているが、巣を壊してしまうこともある。それは私のささやかな思案の種だった。
 水遣りは止めて雨降ルに任せようか、苔は乾燥に強いということだし、今までは水遣りなどしなくても勝手に自生していたのだし、もう少しすれば梅雨にもなろう。……いやしかし、雨後の開いた苔の葉の、鈍く鮮やかな緑を知ってしまったら、あの夕方のカラカラ焼けそうなコロニーを放置できるだろうか……、いや、蜘蛛は?


真夜中、迫ってくるような轟音で目が醒めた。通り雨が地面や窓を叩く音だった。中途覚醒、薄い意識、思考の断片のひとつ、こりゃ全滅だな……


今朝、朝食の後に側溝を覗いた。無事だったのか、新築か、蜘蛛はしっかり巣を張って中心で揺れていた。苔は鮮やかな緑だった。私は彼らにとって無用の神であった。


May. 24. Sun.

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同窓会、会いたかった人はやはり来なかった。その人のことを、誰も口にしなかった。私はその人のことを周りの皆に尋ねてみようと幾度思ったか。しかし尋ねることができなかった。
 懐かしい面々は、それぞれ最後に会ったときのままの姿だった。もう何年も前の、断片をかき集めて構成された、ちぐはぐな。


May. 26. Tue.

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少し早めに布団を敷いたが、中途半端な眠気は沈む寸前で釣り上げられた。おかげで何時間も答えの出ない問答を巡らせることとなった。考えることといったら、自分のことか、自分でない人のこと。
 朝、八時過ぎから断続的に意識が途切れる中、十一時頃にようやく床を出た。いつも以上にのろのろと掃除などをしながら目覚めを待ったが、頭の中は夜中の問答の続きでいっぱいだった。そのうち、煙草を吸いたくなった。


半日悩んだ夜、煙草を買った。半年ぶりだった。
 煙草なんて、私は煙を漏らしながらへへへと自嘲したかっただけかも知れない。外に出掛けてみたかっただけかも知れない。昨日の洗濯物のなかに靴下は一組だけだった。実家の猫を病院に連れて行ったときの靴下。母親の他に会話をしたのは、獣医さん、受付のおねえさん、電話、今日、コンビニのおねえさん。
 キャスターの 1 ミリ、ください——こちらですか? 私は、はいと言うつもりが声が出ず、黙って頷いた。


ネットオークションで買った、古着ながらもきれいなシャツが昨日届いた。洗濯をして、糊をスプレーして、アイロンをかけて、シャツに負けないくらいきれいに四角く畳んだ。夏までにこれを着る日があるのだろうか。


コンビニの前でマッチを擦った。久しぶりの煙草は思いがけず良い香りのように感じた。マッチの香りも良かった。
 私はへへへと笑ったかも知れない。思った通り、煙草の煙はだんだんくさくなってきた。


May. 28. Thu.

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歯ブラシを買うかどうかを真剣に悩むほど金が無ければ煙草は簡単にやめることができる。そうして私は、三年くらい前に煙草の習慣をやめた。
 煙草を買えるくらいの金があった昨日、半年ぶりに買った煙草を今日も順調に消費しているが、臭くて臭くて、もうだいぶ持て余している。


“煙草は心の日曜日”なんて言いながら喫煙所でクリエイティブその他について語り合った学生の頃は楽しかった。煙の出る棒はコミュニケーションツールだった。
 独りで吸っても吐いても楽しくない。くさい。


May. 29. Fri.

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